2009年8月 草津国際音楽アカデミー参加報告


◆◇◆ 奥田安智 編 ◆◇◆

草津国際音楽アカデミーに参加し、実に5年ぶりにストランスキー師匠のレッスンを受講してきました。

レッスン記録の他、何回かに分けてレポートして行きたいと思います。

8月28日(金)

今回の受講者8名が集結。無事練習室を3時間予約できたまでは良かったのですが、ストランスキー師匠から「おかめ」集合を急かされ、納得のいく最終確認がしきれないままでのレッスン突入となりました、ま、これはほんの言い訳ですが。
「おかめ寿司」でのホルン宴会、いつもの守山先生の駄洒落、関西弁、英語、ドイツ語に、今年はローマ仕込みのイタリア語も加わって一層にぎやかでした。

8月29日(土)

さてさてレッスン本番。
受講曲はF.シュトラウスの「6つの四重奏曲」を1パート2名ずつの8人で演奏。

以下、覚えている限り指摘されたことを順不同で列挙していくと、

1.1つのフレーズはブツ切りにせず、全体をロングトーンを吹くような息の流れで演奏し、その間じゅうシュトゥッツェン(腹で息を支えること)を維持すること。
これはTWVに限らず、マスタークラスの音大生3人も繰り返し指摘を受けており、レッスン前日の午後の練習の際にも守山先生からも指摘を受けました。
今回のアカデミーのキイではなかったかと思います。

2.レントラーには「早いレントラー」「遅いレントラー」の2種類がある。
遅いレントラーもずーっと遅いままではなく、踊りが動きだしたら巡行させる。
(皆様ご存知のとおりレントラーは民俗舞曲とか訳されますが、一応書いておきますと、LaendlerのLandは英語と同じで、「土地の、地場の、」という意味です。)
この曲は2006年の本番でもやりましたが、このレッスンでやらなかったら、レントラーの解釈、一生気付かなかったでしょうね。今回の「目から鱗」の1つでした。

3.スラーの最後の音が、なくならないように、短くなりすぎないように音価を持たせること。
これについては、項目を別立てにして考察してみたいと思います。

4.アクセントはアクセントのついている音符のみ単独でアクセントを付けるのではなく、必ずその前後も音楽に「重み」がある。

5.メロディーの受け渡しには、渡す際も受ける際にも意識を忘れない。ただし旋律だからといって突然音量が大きくならないよう全体のダイナミッックスの流れに留意する。

6. 前打音は短くなりすぎないように。ただし重要なのは前打音の次の長い音なので、抜けてしまわないようにちゃんと鳴らす。

見学者も結構いた中で私の担当したセカンドばかりが捕まっていろいろと指摘を受け、全身から汗の吹き出る思いがしましたが、せっかくレッスンを受けるわけですから、平穏に時間をやり過ごすよりも遥かに実りの多い体験することが出来たと思います。

"Hier zu sein ist wichtig" (ここにいるということが重要だ。by P.ダム)といったところでしょうか。

この流れは是非今後の活動に生かして行かねば、との思いを強く持ちました。

余談ですが、「他団体」の演奏について、 全く面識の無いグループがウィンナホルン(アンサンブル)をやっていたりすると、とかく気になってしまいがちなものです。ただ今回は、「人のことは気にせず、まずは自分(達)自身がしっかりやることが肝要」の思いを強く持ちました。

その2では、マスタークラス受講の音大生のレッスンの感想、ストランスキー師出演の演奏会感想なんかを書いてみたいと思います。


草津活動記録(その2)

8/28(金)午前中 マスタークラス

時間が前後しますが、自分達のレッスン前日のマスタークラスの様子をすこし。
今回はなんといっても、伴奏をされた児嶋一江さんのピアノが本当に素晴らしく、中でもベートーベンは特筆ものでした。冒頭のホルンが終わって3小節目からpで入る瞬間から惹き付けられました。整然と流れる16分音符、ほどよい緊張感の維持。
守山先生もお昼の時に「貫禄だよなぁ」と述懐されていました。本番の演奏も聴いてみたいです。
のっけから話題がそれるのは筆者の得意技でして、どうもすみません。

レッスン曲は

F.シュトラウス・協奏曲(東京音大4年生)
ベートーベン・ホルンソナタ(芸大1年生)
R.シュトラウス・協奏曲第1番(国立ラッパ卒ホルン歴1年)

その1にも書きましたとおり、至るところで
「フレーズ全体をロングトーンを吹いているときのようにしっかりと息で支えて」
「音外しを怖がらずに戦え!」との指摘や、TWVメンバーにとってはお馴染みの「重いものを押すポーズ」が飛び出してきました。

折りしもザルツブルク音楽祭で演奏したT.I.君のブログで

「指揮者も「リスクを冒してでも音楽的に」って言っていたし、音楽に挑んで外したんならしょうがないかな、とオーストリアの音楽界では許容されること。寧ろテクニック的な安全策を最優先にした方がオーストリアではNGとされる(ちなみにドイツでは(ホルンに関しては)全く逆)。」

との記述があり、ドイツでさえそうなんだ、、と興味深いですね。

ストランスキー師の実践的な話としては、R.シュトラウスで

「1楽章は最初のうちは高音も続き、支えの意識も保ちやすいが、2回目のEsが終わりTuttiになった後は中低音に移るので、そこで支えを忘れると鳴らない死んだ音になってしまう。(残念ながらスチューデントコンサートでも、ここは修正はされてませんでした)そのあと再び高音が戻ってきたときにも、支えの無いまま突っ込んでしまい、おうおうにして事故が発生するので、決して支えの意識の気を抜かないこと。」

とのことで、凄く説得力あったと思います。

音外しをとやかく言うつもりは全くないのですが、個人的に聴衆として「この人がこの吹き方続けたら次のGの音外すんじゃないかな?」という予感が最近2回連続的中するという体験をしていて、レッスンコメントの説得力を裏書きしていたような気がしました。
文責 奥田 安智

(つづく)


◆◇◆ 森川文之 編 ◆◇◆

‘09初めての草津体験記

 8月28日(金)13時過ぎ、天狗山レストハウス第4駐車場に到着すると、たまにトラでお邪魔している某アマオケのクラリネット氏夫妻にばったり。「コンサートを聴き に?」と訊かれ、「受講するチャンスを得られまして・・・」と話すと、大変驚かれました。
 その後、事務局へ向かうと今度は地元新座交響楽団でお手伝いをお願いしているプロのVn.嬢が、壁に掲示されているタイム・スケジュール表に見入っておられたので、声を掛け、受講の旨を話すとまたビックリ(彼女は、マスター・クラスの受講生として17日から参加されていたそうです)。
 到着早々から、今回得られた受講のチャンスが、アマチュアのしかもウィンナホルンを持ってまだ3年の自分にとって、とても希有な経験であることを感じさせられる一幕でした。

 個人的には、BS練習場での2回の合奏練習では、さらいきれずに参加したせいもあり、私ひとりでみなさんの足を引っ張っている、とかなり落ち込んでおりましたが、草津初日の練習後、ラルス先生によるレッスン前夜、宴会の席で、中根さんから「良くなりましたね」と声を掛けていただき、すっかり気を良くして翌日のレッスンに臨んだものの、終了後2nd.を一緒に吹かれた松井さんから「だいぶ緊張していましたね。走っていましたよ」とご指摘を受け、当然ながら修行の足りなさを痛感させられたのでした。

 さて、肝心のレッスンですが、印象に残った言葉をいくつかご紹介いたします。
 まず、「スラーでつながっている後の方の音符が短くなりすぎ、跳ねているように聞こえる。後の音符も同等に。」我々は、どうしてもスラーでつながっている後の方の音を弱くするという古典の定石に意識を向けるためか、極端に抜けて聞こえているようです。
 また、「アクセントだけが聞こえてくる」というお言葉も。「どの音符も同じように鳴っていないといけない。」これが一番難しいな、と思いました。私のような者が、ただ額面どおりに受け止めて吹いてしまえば、棒吹きになってしまいかねません。全ての音符が同等に響いた上で、“音楽にする”ということは、なかなか大変なこと。でも、それをやれれば、もっと楽しくなるはず。頑張らなくては、と思った次第です。

 午後行われた他団体へのレッスンの中にも、TWVへのアドバイスと同じような言葉がありました。「フレーズを長い1本の線だと思って、その線の到達点へ向かっていき、最後は空の中へ消えていく感じ。」フレーズの頂点へ向かって進めて、フレーズの最後はおさめる、という内容で、守山先生もおっしゃっておられた「一つのフレーズは、ロングトーンの息で最後まで吹き、その中にアーティキュレーションがあるのだ。」という話しは、私も良く耳にするのですが、なかなか身につきません。
 1時間という短時間のレッスンでしたが、こうしたたくさんのタメになる課題をいただいてきました。

 ともあれ、おいしい空気の中、志をいつにするお仲間たちと、楽しい時を過ごし、ラルス先生の教えを受けることができたことは、私にとってとても貴重な体験であり、これから精進していく上での大事な糧となったことは間違いありません。

 こんな私でも、このような機会をいただき、最後まで見捨てずに一緒に演奏に参加させていただいたことをTWVのみなさんやラルス先生、守山先生に心より感謝いたします。“「ウィーンフィルの追っかけ」のファン”であった私が、あこがれのみなさんと一緒に、ウィーンフィル首席奏者・ラルス先生のレッスンを受けることができた喜びは一生忘れません。これからの私のホルン人生にとって、大きなステップになったはずです。

2009年9月2日
森川文之